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アルゼンチンでの日本語翻訳大学専門

編集を勉強する大学に入る前に、日本語翻訳を勉強したかった。しかし、その目標をやめて、編集に従事することにした。理由は日本語の高い水準がなかった以上、日本語翻訳を勉強する大学に入るのに、無理だと言われることだ。インターネットで調べた結果、アルゼンチンで日本語翻訳に従事する唯一の大学はブエノスアイレス大学なのだ。そして、入る前に、CBC、いわゆる、基礎知識講座という受験科目に受かった後、スペイン語試験と日本語試験をパスせねばらないそうだ。そのCBCって、社会的国家知識、科学的推理知識、法律人権入門、中南米法律知識、社会学、記号学という6つの科目で構成される。各科目の学期は4ヶ月の期間と定められている。
 

語学試験の場合は、スペイン語試験の時は筆記試験だけだが、日本語試験の時は口頭試験と筆記試験を受けるのだ。口頭試験では、受験者は新聞や雑誌などに載せられた記事や写真をもらって、その資料に関して、文法をきちんと使って分析と解説をやらなくてはならないそうだ。それから、筆記試験の時に、ある近代の著者のテキストの内容について、日本語で作文を書いて、説明した上、日本語文法試験をするとのことだ。合格してから、大学に入って、5年間のカリキュラムがあるその専門に従事することができる。しかし、どんな大学専門を勉強しようと思っても、そんな資格が必要なのだ。それなのに、だれも日本語翻訳を勉強しないのはなぜなのだろうか。
 

調べたところによると、国内には西日日西翻訳家が2人ばかりいるそうだ。2人は日本人、あるいは日系人で、自分のビジネスなのだから、他の人に翻訳家にならないでほしいと思っているかもしれない。この翻訳家も試験官として入学試験で担当するため、試験に合格させないことになる。大学の官庁に抗議しても、この状況が続いている。大学の先生方からは適度な国語のレベルが十分にないっていう言い訳が届いてくるだけ。あるインターネットフォーラムのユーザーの投稿によれば、ラプラタ学校出身者の日系人も受けたが、失敗したとのことだ。日本語翻訳専攻のマフィアの成果にほかならないと思う。

それでは、勉強したいなら、海外に行くしかない。それとも、違法だけれども、試験官に多額な賄賂を払ったらいいのか。最後に、その翻訳家が死ぬまで待つのか。適当な方法がどちらなのかとまだまだ考え続けている。皆さん、アルゼンチンの中では、どこで日本語翻訳専攻を勉強することができるか教えていただければと思っている。

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