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新たな独裁制、地獄の国

今日は海外に出発する旅客に対して、統制が強化されたことで、フェイスブックの友達は投稿で不満を言った。私はこの政府の政策に対して、こう答えた。当政府はヴィデーラの独裁制を批難するが、この政府の政策は70年代の独裁政権より悪いのである。クリスティーナ大統領は独裁者になってしまった。
 

70年代の独裁の時、生存する方法は野党やテロ組織に属しないことだった。そして、いつもどこにいても身分証明書を手元にしなければならなかった。しかし、現在の政府の時、どんな方法をとろうと、危害または、殺害される恐れがある。分権が広がってきたこともある。当政府は自分の利益のために、独裁的な政策を行っているのである。危険性についてのこんな方策をとるのは人権を侵しているため、人道犯罪を促進している始末である。それは罰されるべきである。クリスティーナ大統領は毎日起こっている罪をサポートしたり味方したりすると、犯人にもなってしまった。アルゼンチンの国民は他の独裁政権の中で暮らしているが、これは前の独裁制よりずっと悪いと思う。既に、無罪の人々の血がたくさん零れた。
 

当政府はテロリストによって統治される。支配者は若いうちに、人々を殺したことがある。今、そのテロリストは政府にいて、自分の思想を広めている。彼らは良い人だと私達に信じさせている。マドレス・デ・プラサ・デ・マショという組織は政府にもあるのは、その子供達はテロリストだったからである。子供は自分の政府が発足するように、争っていた。アルゼンチンへの愛のために、治めるのではなく、権力とお金を巡って、治めるのは皆である。
 

支配者は王国のように、生活していて、権力を広めるために、国を破壊して教育を改悪させる。国民を政府に依存させる。そのため、手当てを与えたり、資本利得税を採択したり、ビシャというゲットーを建てたり、犯罪を促進したりする。政府の演説は聞いて娯楽、見て地獄。支配者は私達に範囲以上を見渡させない。神々のように、奉らせるのである。解決は汚職を覆すことだと思う。それは一筋縄でいかない問題だろう。
 

まず、解決するために政府にいる支配者は正義に罰されるべきだと思う。でも、これはこの国ではユートピアンである。汚職は制度化された。マフィアのネットワークである。 残念ながら、権力が最も高い唯一の政党はペロン主義である。過半数のリーダーはペロン主義者である。CGTのような労働組合もペロン主義者である。国を統制する権限がある。キルチネル主義もペロン主義に根付いている。だから、CGTも分離していて、事情に立ち向かうことができない。来年の選挙ではペロン主義でない政党が当選したら、きちんと統治することができないだろうと思う。アルフォンシン政府の中で起こったように、ペロン主義者は与党をきちんと治めさせないのである。
 

ペロン主義は危機の時でも、ちゃんと持ち逃げしてしまう。いつも、手を引いて、 新たにしてしまう。つまり、キルチネル主義は危機に入った時、ペロン主義はキルチネル主義に関係がないと主張して、分かれたということである。国の問題は私にとって、ペロン主義だと思う。おまけに、恩顧主義ばかりを促進するポピュリズム政権に合併しようと、政策が猛悪になってしまうのである。

アルゼンチンの情勢には終わりが見えない。アルゼンチン人はいつも危機の中で暮らしていた。私は大学で、若者がどうやって政治活動の方法を覚えるかということを分析したところ、大学の中でも政党活動をし、一票を得たいがために統治していることが分かった。統治思想を切り替えない間は、アルゼンチンでは失敗が続くのである。

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