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9月, 2014の投稿を表示しています

新たな独裁制、地獄の国

今日は海外に出発する旅客に対して、統制が強化されたことで、フェイスブックの友達は投稿で不満を言った。私はこの政府の政策に対して、こう答えた。当政府はヴィデーラの独裁制を批難するが、この政府の政策は70年代の独裁政権より悪いのである。クリスティーナ大統領は独裁者になってしまった。   70年代の独裁の時、生存する方法は野党やテロ組織に属しないことだった。そして、いつもどこにいても身分証明書を手元にしなければならなかった。しかし、現在の政府の時、どんな方法をとろうと、危害または、殺害される恐れがある。分権が広がってきたこともある。当政府は自分の利益のために、独裁的な政策を行っているのである。危険性についてのこんな方策をとるのは人権を侵しているため、人道犯罪を促進している始末である。それは罰されるべきである。クリスティーナ大統領は毎日起こっている罪をサポートしたり味方したりすると、犯人にもなってしまった。アルゼンチンの国民は他の独裁政権の中で暮らしているが、これは前の独裁制よりずっと悪いと思う。既に、無罪の人々の血がたくさん零れた。   当政府はテロリストによって統治される。支配者は若いうちに、人々を殺したことがある。今、そのテロリストは政府にいて、自分の思想を広めている。彼らは良い人だと私達に信じさせている。マドレス・デ・プラサ・デ・マショという組織は政府にもあるのは、その子供達はテロリストだったからである。子供は自分の政府が発足するように、争っていた。アルゼンチンへの愛のために、治めるのではなく、権力とお金を巡って、治めるのは皆である。   支配者は王国のように、生活していて、権力を広めるために、国を破壊して教育を改悪させる。国民を政府に依存させる。そのため、手当てを与えたり、資本利得税を採択したり、ビシャというゲットーを建てたり、犯罪を促進したりする。政府の演説は聞いて娯楽、見て地獄。支配者は私達に範囲以上を見渡させない。神々のように、奉らせるのである。解決は汚職を覆すことだと思う。それは一筋縄でいかない問題だろう。   まず、解決するために政府にいる支配者は正義に罰されるべきだと思う。でも、これはこの国ではユートピアンである。汚職は制度化された。マフィアのネットワークである。 残念ながら、権力が最も高い唯一の政党はペロン主義である。過半数のリーダーはペロン

キルチネルが暗殺か

今回はアルゼンチンの現代の歴史の大きい不可解の1つについて、 話す。多分、黙ったほうが良いが、心から届け出ねばらない気がする。 2010年の10月27日の朝、ラジオで元大統領キルチネル・ネストルが昨夜死去したと報じた。死因は心臓発作のためだったという。その日は国勢調査が行われる予定だったが、その事件のため、見合わせることになった。 全国では哀れな雰囲気を感じっていたものだ。誰も待っていなかった死亡の知らせだったのだ。しかし、葬式の時、怪しいことが起こった。元大統領の遺体は蓋を閉めたまま、棺の中に入っていて、告別式がとり行われた。つまり、葬式の議定書によると、大統領が亡くなった時、遺体を国民に見せるようにして行うべきだという。それでは、遺体を隠したのはなぜなのだろうか。誰も遺体が見られなかったのはなぜなのだろうか。果たして、知ってはならないことがあるのだろうか。誰も何も怪しまなかったのだろうか。多くの問いかけなのだが、誰かが捜査をしないと。。。 でも、どこから取り掛かろうか。始めに、色んな手段で情報を集めたら最後、「シデ」という国家情報局にたどり着いた。でも、返事がなかった。 4年後、5月の涼しい夜に、喫茶店で悩ましい姿をした人に会った。「誰?」と聞いた。「私はあなたが探している答えを持っている者です。立ち話もなんですから、お座りください。」と答えてくれた。「何を探しているか分かりますか?」「これです。目を通して判断して下さい。」「何で?お返しは何でしょう?」「とんでもありませんよ。私はただ頼もしい人間だけです。内密の方針をよそに、この情報をお渡ししますが。」とその人は話した。「ちょっと、散歩しましょう。歩きながら、行動を詳しくご説明します。」と誘ってくれた。 午前2時半ごろだった。道はすっかり空いていたものだ。人々は家でマイダナとメイウェザーのボクシングを観戦してこもっていたからだ。遠くから応援をしつつやじりつつの騒音が聞こえた。その無名な人物は情報をどうやって得たかという根拠を発表するために、自分の仕事について物語った。彼は政府との近い関係があるとほのめかした。私がその間にシデのエージェントかと問い詰めたが、お茶を濁した。しかし、ある秘密を言った。たとえば、シデはブエノスアイレス大学の文理学部でも怪しい学生達と政党の組織をスパイする手口を解説したり、中央情報局

アルゼンチンでの日本語翻訳大学専門

編集を勉強する大学に入る前に、日本語翻訳を勉強したかった。しかし、その目標をやめて、編集に従事することにした。理由は日本語の高い水準がなかった以上、日本語翻訳を勉強する大学に入るのに、無理だと言われることだ。インターネットで調べた結果、アルゼンチンで日本語翻訳に従事する唯一の大学はブエノスアイレス大学なのだ。そして、入る前に、CBC、いわゆる、基礎知識講座という受験科目に受かった後、スペイン語試験と日本語試験をパスせねばらないそうだ。そのCBCって、社会的国家知識、科学的推理知識、法律人権入門、中南米法律知識、社会学、記号学という6つの科目で構成される。各科目の学期は4ヶ月の期間と定められている。   語学試験の場合は、スペイン語試験の時は筆記試験だけだが、日本語試験の時は口頭試験と筆記試験を受けるのだ。口頭試験では、受験者は新聞や雑誌などに載せられた記事や写真をもらって、その資料に関して、文法をきちんと使って分析と解説をやらなくてはならないそうだ。それから、筆記試験の時に、ある近代の著者のテキストの内容について、日本語で作文を書いて、説明した上、日本語文法試験をするとのことだ。合格してから、大学に入って、5年間のカリキュラムがあるその専門に従事することができる。しかし、どんな大学専門を勉強しようと思っても、そんな資格が必要なのだ。それなのに、だれも日本語翻訳を勉強しないのはなぜなのだろうか。   調べたところによると、国内には西日日西翻訳家が2人ばかりいるそうだ。2人は日本人、あるいは日系人で、自分のビジネスなのだから、他の人に翻訳家にならないでほしいと思っているかもしれない。この翻訳家も試験官として入学試験で担当するため、試験に合格させないことになる。大学の官庁に抗議しても、この状況が続いている。大学の先生方からは適度な国語のレベルが十分にないっていう言い訳が届いてくるだけ。あるインターネットフォーラムのユーザーの投稿によれば、ラプラタ学校出身者の日系人も受けたが、失敗したとのことだ。日本語翻訳専攻のマフィアの成果にほかならないと思う。 それでは、勉強したいなら、海外に行くしかない。それとも、違法だけれども、試験官に多額な賄賂を払ったらいいのか。最後に、その翻訳家が死ぬまで待つのか。適当な方法がどちらなのかとまだまだ考え続けている。皆さん、アルゼンチンの中

油断大敵

子どもの頃、小学校の休憩時間中に、いろいろな遊びやおもちゃで遊んでいた。その一つが面子だ。男子の間で大流行したゲームだった。円形のプラスチック製のカードで、片面にポケモンの図柄が施されているカードを、地面に滑らせるように、注意深く投げて、相手のカードを追い越したら勝ち、その相手のカードをもらえるというような遊びだ。私は学校で他の子がよくしていたサッカー、隠れんぼ、鬼ごっこ、縄跳び、ビー玉等で遊ぶことがあまり好きではなかったのだ。面子は未だに私にとって最高に楽しい遊びだ。 この間、部屋を片付けていた時、ある箱を見つけて開けたら、ポケモンカードの面子が中に入っていて見た途端に郷愁が湧いて来た。子どもの時のように、また遊びたくなったのだ。そのカードがlay'sというポテトチップスの袋の中におまけで入っていたことを思い出す。そして、趣味としてもそのカードを集めていたので、50枚ほどあった。たいてい、同じカードが当たったりして種類が重なったものは、片方だけを繰り返し使って遊んでいた。だから、負けて、取られたとしても心配はなかった。相手に勝った時、摩れて台無しになったカードをもらうのは嫌だが、受け入れるしかなかった。そういえば、私も負けたとき、ボロボロのカードを渡していたな。 学校では、仲間に挑戦するために休み時間になるのがいつも待ち遠しかったものだ。この遊びのおかげで、生活の中で例えつまらなくても、次に来る楽しい瞬間のために頑張ることの意味を習ったのだ。ある日、クラスメートといつものようにゲームをしていて、大切なことを身につけることになる。それは未だに覚えていることである。彼は先にカードを投げたが、そのカードは壁にぶつかって、ずいぶん弾んでしまった。私は嬉しいことに、「よし、もう勝ったぞ!」と思って安易に投げたところ、仕舞いに相手のカードを追い越せなかったのだ。調子に乗った上に負けてしまったから、信じられなかった。その日から「油断大敵」ということわざが身にしみて分かり、どんなことにも決して油断してはいけないと、心に刻んだ。簡単でも、一番難しいことへの挑戦のつもりで頑張らなければならないのは、遊びながら習った教訓である。