たくさん の本が並ぶ本棚を掃除していると、ふと、歴史の好きな私の注目を引く本を見つけた。その本はアンネ・フランクの伝記である。アンネの生活風景が理解できるように、当時の政治と社会情勢も本で説明されている。アンネが生きたドイツはナチスに支配されていた。その本ではアルゼンチンの現在の政策がナチズムを想起させることに気づいた。 1929年、ニューヨーク株式取引所の株価暴落に始まった世界。産業活動は低下し、3年後、失業者は7万人にふくれ上がった。市民の4分の1は固定収入がなかったと言われていた。一次大戦に敗れ帝政から共和政に移ったドイツだったが、戦勝国から押し付けられた形の民主制度は、ヒトラーの率いる極右政治組織「国家社会主義ドイツ労働者党」が台頭し、この経済危機に直面できるようになった。 ナチスは「民主的な」つまり、選挙だけで多くの票を集めるという方法で絶対的権力を手に入れようとしていた。人間心理の操縦が巧みなヒトラーはこう主張した。「ドイツが抱えている全ての問題は弱体な共和政府のせいだけでなく、ユダヤ人のせいだ」。 一方、ナチス党員が労働組合の幹部となり、ストライキは法によって禁止された。合法的な組合活動が認められたのは、ナチス党系の「ドイツ労働戦線」だけであった。それから、失業対策として、建設や兵器産業の強化などの雇用計画を打ち出した。低報酬で青少年は一定期間の労働を強いられ、同時にナチスの思考を吹き込まれたのである。そして、ナチスは大家族を奨励するために、「結婚貸付金」の制度をもうけ、子沢山の家庭には助成金を与えた。子供が多いほど、兵士の数が増えるというわけである。ナチスは大衆の支持を得たのは巧妙な世論操作による。ラジオ放送、大衆集会、写真、映画、ポスターなど、全てのメディアがナチズムの普及のために利用された。 現在、アルゼンチンはどうだろうか。今、与党がキチネル主義であることは誰でも知っているだろう。 キチネル主義はその最後の10年間に、政敵を作って型にはめるというプロパガンダを展開した。このように、与党のプロパガンダにより、農業従事者を「オリガーキー」として、カセロレロス「政府の政策に反してデモ抗議していた人々」を「クーデターの支持者」として、キチネル主義の政策に反する記者を「裏切り者」としてレッテルを貼った。 さて、 キチネル主義は何だろうか