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11月, 2015の投稿を表示しています

ナチズムとキチネル主義の比較

たくさん の本が並ぶ本棚を掃除していると、ふと、歴史の好きな私の注目を引く本を見つけた。その本はアンネ・フランクの伝記である。アンネの生活風景が理解できるように、当時の政治と社会情勢も本で説明されている。アンネが生きたドイツはナチスに支配されていた。その本ではアルゼンチンの現在の政策がナチズムを想起させることに気づいた。 1929年、ニューヨーク株式取引所の株価暴落に始まった世界。産業活動は低下し、3年後、失業者は7万人にふくれ上がった。市民の4分の1は固定収入がなかったと言われていた。一次大戦に敗れ帝政から共和政に移ったドイツだったが、戦勝国から押し付けられた形の民主制度は、ヒトラーの率いる極右政治組織「国家社会主義ドイツ労働者党」が台頭し、この経済危機に直面できるようになった。   ナチスは「民主的な」つまり、選挙だけで多くの票を集めるという方法で絶対的権力を手に入れようとしていた。人間心理の操縦が巧みなヒトラーはこう主張した。「ドイツが抱えている全ての問題は弱体な共和政府のせいだけでなく、ユダヤ人のせいだ」。   一方、ナチス党員が労働組合の幹部となり、ストライキは法によって禁止された。合法的な組合活動が認められたのは、ナチス党系の「ドイツ労働戦線」だけであった。それから、失業対策として、建設や兵器産業の強化などの雇用計画を打ち出した。低報酬で青少年は一定期間の労働を強いられ、同時にナチスの思考を吹き込まれたのである。そして、ナチスは大家族を奨励するために、「結婚貸付金」の制度をもうけ、子沢山の家庭には助成金を与えた。子供が多いほど、兵士の数が増えるというわけである。ナチスは大衆の支持を得たのは巧妙な世論操作による。ラジオ放送、大衆集会、写真、映画、ポスターなど、全てのメディアがナチズムの普及のために利用された。   現在、アルゼンチンはどうだろうか。今、与党がキチネル主義であることは誰でも知っているだろう。 キチネル主義はその最後の10年間に、政敵を作って型にはめるというプロパガンダを展開した。このように、与党のプロパガンダにより、農業従事者を「オリガーキー」として、カセロレロス「政府の政策に反してデモ抗議していた人々」を「クーデターの支持者」として、キチネル主義の政策に反する記者を「裏切り者」としてレッテルを貼った。 さて、 キチネル主義は何だろうか

新しい進路の窮地

久しぶりに書いている。一年ぐらい前から何も書いていない。私にとって、書くということは反省させられる趣味のようなことなのだ。この一年間、私の生活にはたくさんのことが起こった。いいことが多かったと言える。確かに、私の進路を変えた出来事だった。一番の大きい変化は仕事だった。しっかりしている仕事だからこそ、将来のことを考える可能性が与えられたと思う。自分の世界は広がった。想像だにしなかった職場に入った。でも、それは心に残る内緒。 私の性格は前向きなところがあるので、腕を磨いて、職場でも実績を上げることを目的として、法律を勉強し始めた。将来は重役になれるといいね。 仕事を始めとして、立てた目標を達成すれば、新たな目標も現れた。その一つは一人暮らしだ。理想なのはアパートを買うことだが、それはアルゼンチンの経済情勢では、とても難しい。難しいんじゃなくて、無理。だから、唯一の可能性は借りることなのだ。でも、同時に、安定した生活を送るために、貯金したいというジレンマに陥る。そのために、いろいろと考えている。ええ、短所はすべて損得を考えすぎてしまっていることだ。木を見て森を見ない。 毎月もらう給料はさておき、家賃を払う余分なお金を作りたいものだ。いろいろな方法を試している。最初に、このブログの読者らに宣伝にクリックしてほしい。お願いします。それから、定期預金を始めようと思っている。最後に、編集を勉強していた大学の仲間と、翻訳、校正や随筆のサービスを提供するという会社を起業するつもりだ。皆さん、合法的にお金を儲けるほかの提案があったら、教えて下さい。