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油断大敵

子どもの頃、小学校の休憩時間中に、いろいろな遊びやおもちゃで遊んでいた。その一つが面子だ。男子の間で大流行したゲームだった。円形のプラスチック製のカードで、片面にポケモンの図柄が施されているカードを、地面に滑らせるように、注意深く投げて、相手のカードを追い越したら勝ち、その相手のカードをもらえるというような遊びだ。私は学校で他の子がよくしていたサッカー、隠れんぼ、鬼ごっこ、縄跳び、ビー玉等で遊ぶことがあまり好きではなかったのだ。面子は未だに私にとって最高に楽しい遊びだ。

この間、部屋を片付けていた時、ある箱を見つけて開けたら、ポケモンカードの面子が中に入っていて見た途端に郷愁が湧いて来た。子どもの時のように、また遊びたくなったのだ。そのカードがlay'sというポテトチップスの袋の中におまけで入っていたことを思い出す。そして、趣味としてもそのカードを集めていたので、50枚ほどあった。たいてい、同じカードが当たったりして種類が重なったものは、片方だけを繰り返し使って遊んでいた。だから、負けて、取られたとしても心配はなかった。相手に勝った時、摩れて台無しになったカードをもらうのは嫌だが、受け入れるしかなかった。そういえば、私も負けたとき、ボロボロのカードを渡していたな。

学校では、仲間に挑戦するために休み時間になるのがいつも待ち遠しかったものだ。この遊びのおかげで、生活の中で例えつまらなくても、次に来る楽しい瞬間のために頑張ることの意味を習ったのだ。ある日、クラスメートといつものようにゲームをしていて、大切なことを身につけることになる。それは未だに覚えていることである。彼は先にカードを投げたが、そのカードは壁にぶつかって、ずいぶん弾んでしまった。私は嬉しいことに、「よし、もう勝ったぞ!」と思って安易に投げたところ、仕舞いに相手のカードを追い越せなかったのだ。調子に乗った上に負けてしまったから、信じられなかった。その日から「油断大敵」ということわざが身にしみて分かり、どんなことにも決して油断してはいけないと、心に刻んだ。簡単でも、一番難しいことへの挑戦のつもりで頑張らなければならないのは、遊びながら習った教訓である。

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