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国を治める事態

私が夢見る好きな国というものは暴行したり、暗殺したりされるという恐怖なしに、自由にどこにでも出掛けられるし、全国民が給料が良い仕事も持っていて、良い教育も受けるし、国の経済も大体安定しているということだ。果たして、私の国、アルゼンチンはそうなのだろうか。残念ながら、そんな国になるのはずいぶん遠いはずだ。
 

アルゼンチン人はこの国でいつも危機の中で暮らしていた。新しい政府が発足する度に、希望も生じる。つまり、国が復興して、失業率が減少するし、安全率も高まることを期待されるということだ。いつも同じことが起こる。政府の冒頭では情勢が良くなっていくが、後は悪化してくるのだ。とうとう、新たな不況に入ってしまう。それはどうしてなのだろうか。その原因は汚職と言われる。各大統領が権威とお金の意欲により、盲目になって、過失犯をし続ける。そして、国民の無知によっても、再選挙で当選してしまう。特に、中南米の国民が羊のように治められ、慣れさせられた。政治家は人を見ないで、一票ばかりを見るのだ。一票があればあるほど、もっと権限を得ていくから。大統領が民主主義的な独裁者だと言えると思う。

私は子供の頃でさえ、危険性があったことを思い出す。「スイスの旗を見ると、将来スイスに住みに行きたいものだな。きっと、泥棒がいないから。」と何回も言っていたものだ。スイスの旗に施される十字は平和を象徴すると思ったから。


最近、経済情勢はすごく悪化してきた。したがって、犯罪率もだんだん高くなっていく。しかし、誰も何もしない。責任をとらず、他人を避難ばかりしている。盗難、窃盗、恐喝、強奪、暗殺、婦女暴行、人身売買、麻薬密売という罪は毎日継続しているのだ。


私も罪を実感したことがある。最後の高等学校の年の時、学校から帰宅途中に赴いたら、裸の胴体のままの20代の少年が私に近づいて、こう言った。「てめえ、 助けてくれ!俺はジョーニという。食べるために金をくれ!」私はすぐにお金は何もないと答えたが、彼はお金がどこにあるか問い詰めた。実は、私は真実を言っていた。お金はないはずだった。それから、ジョーニは「探して、金を見つけたら、お前を傷めつけてやってくれるぞ。」と脅かしてきた。その瞬間、母が2ペソの札をくれて、すぐにポケットにしまってしまったことを思い出して、その札を渡してやった。彼は嬉しそうに逃げた。その日から、道を歩いていた時、誰かが私に向けて近づいたら、緊張してしまうようになった。


小雨のある日、大学を出て、バス停に向かったら、ホームレスが来て、コインを頼んできて、あげたが、少なかったから、もっと頼んだ。でも、私は否定したため、今度はさらに私の携帯電話を欲しがって、あげなかったら、ナイフを刺すぞという恐喝してきた。しかし、彼は一度もナイフを見せたことがないが、私は傘を盾として使ったのだ。しっかり抵抗して、おかげさまで、そのホームレスが逃げた。その日からも、ホームレスが近づく度に、足と手が震える気がする。昨年はバスに乗っていたら、 はるか西の映画のように、二人の人が武器でバスを暴行して、乗客の持ち物を盗んだ。私は居眠りしていたから、助かった。


今年も友達とバスに乗っていて、突然バスが通る道では数人の強盗が警察官と銃撃していた。そこをバスが走り抜けたので、直ちに皆しばらくしゃがんだ。おかげさまで、負傷者はいなかった。ビックリしただけだった。まだ生きている。どのくらいまで生きるのだろうか。


アルゼンチンではいつも死ぬという怖さと生きていたのだ。ただし、この状況は直らない。そのうち、国はもっと改悪していく。警察が容疑者を逮捕した後、汚職のため、裁判官は逃がしてしまう。罪を犯す大問題は麻薬密売なのだ。麻薬密売は居着いてしまった。数年のうち、麻薬密売者は勝手に 国家を統治して、経済を統制してしまうはずだ。現在の政府は麻薬密売を促進するため、どんなに阻止する方法を模索しても見つからない。国には国境規律、レダー、麻薬密売をめぐる法もない。暴力と汚職は国を治める。一筋縄ではいかない問題なのだ。ある友達が言ったとおり、アルゼンチンの解決は空港にある。

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