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3月, 2014の投稿を表示しています

機体の神隠し

3月8日未明239人の搭乗したマレーシアの飛行機が消息を絶ち、行方不明になったとメディアが報じた。2週間程が経ち、消えた理由も飛行機の行方もまだ分かっていない。それで、テロ事件から宇宙人に誘拐されたという仮定までいろいろあるそうだ。マレーシア政府は、検討した上、飛行機がインド洋に墜落したとみられると発表した。しかし、機体の残骸と乗客の遺体の行方は未だ解明されてない。搭乗者の家族に誰も生き残らなかったと伝えたが、生存者がまだいる可能性があるのだろうか。   1979年に学生とラグビー選手合わせて45人が搭乗した、ウルグアイ航空の飛行機がアンデス山脈に墜落した。捜索がうまく行かずに、皆死亡したというニュースが広まった。事故の約40日後、村人がその周辺を歩いたら、様子の怪しい人々に偶然会って、最初にびっくりしたそうだが、すぐに航空事件の生存者であることに気づいて、チリの官庁と通信して、経緯を届け出た。45人のうち12人が生き残れたらしい。生き残った人に「どうやって生存したかな」と尋ねられた時、驚くべきことに、「生存方法の一つは死人を食うことだった」と答えた。   マレーシア航空事故では「アンデスの奇跡」と呼ばれるそのエピソードが果たして繰り返されるのだろうか。希望をなくさず、捜索を深めて、祈るしかないと思う。

心に残ったとっておきの思い出

「私は実家に行ってみた。私は小さい頃は、作業場は近所にある別の家の一階で、とても広いところだった。他の職人さんたちが仕事帰りにあいさつをしに寄ったり、近所の人が通りかかる度にちょっと声をかけていったり、仕事も忙しくても手間がかかるから活気があってとてもにぎやかだった。だんだん景気が悪くなって、父の事務所は父だけになり、作業場も家の中にこしらえた。たまに手伝いの人が来る程度で、どんどんさびれていった。それでも、仕事をしている父を見るのは好きだった。母が一日に何回かお茶を運んでいくと、父は手を休める。忙しいからそこに置いとけ、ということは滅多になかった。そして父と母がたわいないおしゃべりをしている声が、台所のほうにかすかに聞こえてくる様子も大好きだった。   しかし父のいなくなった実家は誰も住んでいない家特有の荒れて淋しい感じがして、父の作業場には墓石もひとつも残っていなかったし、道具がひとつもなかった。駐車場の車ももちろんなかった。 住居の中はそのままで、母が捨てられなかった古いトースターだとか、花柄のポットだとかが、薄暗い台所に息をひそめていた。なんだかやりきれなくなった。もうここでは誰かに何かが終わってしまったのだ。何もかも失われてしまった。」 と。 よしもとばなな著者の「アルゼンチンババーア」という小説からのこの引用を読みながら、自分自身の幼児期のことを思い出した。母方のおばあちゃんの家に泊まることが大好きだった俺は、上記の引用を読んで感じた懐かしい気持ちを込めて、俺の過去のエピソードを話そうと思う。 あのクリスマスの日は記憶に刻まれている。おばあちゃんと過ごした最後のクリスマスだったからだ。あの日、家に着いた時は嬉しそうに迎えてくれたものだ。ジャスミンの香りが漂う部屋に入ると、飾ってあったクリスマスツリの下に置いてあるプレゼントを見て感動したことを覚えている。俺はプレゼントを開けるのが待ち遠しかった。アルゼンチンでは、プレゼントを開けるには、時間が零時になることを待たなくてはいけないが、幼い子供の俺は時間が経つにつれて、我慢ができなくなってきたのだ。 一晩中花火を見つめて、おばあちゃんの御馳走を味わって、そのクリスマスは楽しく過ごした。翌年、おばあちゃんが亡くなり、もう二度と素晴らしいクリスマスは過ごせなくなった。しかも、それきりおばあちゃん

日本語能力試験合格結果通知

能力試験N2を受けることを目標に、毎日語彙とか、文法表現とかを覚えたり、記事を読んだり、することにした。朝御飯を食べてから、していた。まず、「能力試験2級に出る」という本を一年間使って、言葉と漢字をほとんど学ぶ事にした。毎日一つの新たな課をマスターできるようにして、前の課も練習した。それで、すごく大変だった。その後、「中級へ行こう」とか、「みんなの日本語III」といった教科書もいろいろ使った。翌年、すなわち去年の夏に文法表現を中心として、出版社に勤めのかたわら、「どんな時どう使う 日本語表現文型500」というテキストを買って、一ヶ月にすべて覚えられるようになった。 俺から見ると、語彙の勉強ほどあまりややこしくなかったな。それから、学校の授業ではもちろん先生と会話と聞き取りを猛練習したり、以前学んだことも使い分けるために応用したりしてしまった。 一日たりとも日本語に触れなかった日はなかったのだ。しかし、試験の後、月日が経つにつれて、間違えたところと正解したところという思いが交錯して、不安な気持ちが湧いてきた。やっと、待ちに待った結果通知が届いた。 一生懸命勉強したからといって、不合格だろうと思いきや、受かってしまった。この成績は努力の結実というものだ。 今後もN1に向けて頑張ろうと思う。

浦島太朗と特殊相対性理論

この都会での今日の目覚めは、いつもとは違っていた。夢うつつのまま、「地球上の生命に、また今日という日が始まる。」とつぶやいた瞬間、浦島太郎の物語が頭に浮かんだのだ。何故思い浮かんだのか分からないが、おそらく、遠く離れた家族に会いたいという無意識の気持ちが、夢の続きとして、浦島太郎の物語に形を変えて頭の中に現れたと思うのだ。 私は、古風な日本語で書かれている浦島太郎の冒険物語をもう一度読み返してみた。物語のクライマックスにさしかかったところで本を閉じた。そこは、物語の最も重要な箇所であり、時代が急激に進む箇所なのだ。浦島は故郷から三年間だけ離れていたと思っていたけれど、帰った時に、三百年が経ったことに気づいたのだ。しかし、その現象はどう証明するのか。 例の物語には解説がない。この物語に論理的な説明が見つけられるか否か、また、この物語は、実話であるかを検証することにした。どこから始めるとしようか。浦島は竜宮城に居て三年だけを感じたのだが、陸では三百年も経ったのは何故なのか。竜宮城の場所を海底深くにあることと設定したのは、実はあの冒険を記した古代の人が竜宮城の場所を明確に語れなかったためではないだろうか。それは、竜宮城が宇宙にあることの暗示ではないだろうか。浦島は亀に乗って、数日か数月で目的地に着いたが、実は本物の亀ではなくて、宇宙船だったのではないだろうか。 浦島太朗の物語から、まだよく分からない空間と時間の関係を解き明かせればと考えているのだ。だが、浦島太郎の物語が語る空間と時間の概念は、私にはニュートン力学で説明出来ない。それでは、これはどう説明するのか。私は満月をしばらく見つめた。月の光はとても眩しかった。私は考えるのを止めていた。ユーレカ! 突然、頭の中に「月の光は太陽の反射光である。」という現象が思い浮かんだ。そうだ。私達の惑星で見ている太陽は、8分前の太陽なのだ。 そして、アインシュタインの特殊相対性理論を思い出した。その理論を勉強するために、インターネットで書籍を検索した。タブレットにダウンロードして、一晩中読みふけった。アインシュタインの特殊相対性理論によると、物体Bが光の速度に近い速さで移動し、物体Aが物体Bよりも遅い速度で移動しているとすると、物体B上では、物体A上よりも時間の進み方が多いというのだ。つまり、Bからみると、光の速度のに近い速度