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8月, 2014の投稿を表示しています

国を治める事態

私が夢見る好きな国というものは暴行したり、暗殺したりされるという恐怖なしに、自由にどこにでも出掛けられるし、全国民が給料が良い仕事も持っていて、良い教育も受けるし、国の経済も大体安定しているということだ。果たして、私の国、アルゼンチンはそうなのだろうか。残念ながら、そんな国になるのはずいぶん遠いはずだ。   アルゼンチン人はこの国でいつも危機の中で暮らしていた。新しい政府が発足する度に、希望も生じる。つまり、国が復興して、失業率が減少するし、安全率も高まることを期待されるということだ。いつも同じことが起こる。政府の冒頭では情勢が良くなっていくが、後は悪化してくるのだ。とうとう、新たな不況に入ってしまう。それはどうしてなのだろうか。その原因は汚職と言われる。各大統領が権威とお金の意欲により、盲目になって、過失犯をし続ける。そして、国民の無知によっても、再選挙で当選してしまう。特に、中南米の国民が羊のように治められ、慣れさせられた。政治家は人を見ないで、一票ばかりを見るのだ。一票があればあるほど、もっと権限を得ていくから。大統領が民主主義的な独裁者だと言えると思う。 私は子供の頃でさえ、危険性があったことを思い出す。「スイスの旗を見ると、将来スイスに住みに行きたいものだな。きっと、泥棒がいないから。」と何回も言っていたものだ。スイスの旗に施される十字は平和を象徴すると思ったから。 最近、経済情勢はすごく悪化してきた。したがって、犯罪率もだんだん高くなっていく。しかし、誰も何もしない。責任をとらず、他人を避難ばかりしている。盗難、窃盗、恐喝、強奪、暗殺、婦女暴行、人身売買、麻薬密売という罪は毎日継続しているのだ。 私も罪を実感したことがある。最後の高等学校の年の時、学校から帰宅途中に赴いたら、裸の胴体のままの20代の少年が私に近づいて、こう言った。「てめえ、 助けてくれ!俺はジョーニという。食べるために金をくれ!」私はすぐにお金は何もないと答えたが、彼はお金がどこにあるか問い詰めた。実は、私は真実を言っていた。お金はないはずだった。それから、ジョーニは「探して、金を見つけたら、お前を傷めつけてやってくれるぞ。」と脅かしてきた。その瞬間、母が2ペソの札をくれて、すぐにポケットにしまってしまったことを思い出して、その札を渡してやった。彼は嬉しそうに逃げた。その日から、

百周年の第一次世界大戦

今年は1914年から1918年にかけて戦われた第一次世界大戦から百周年になる。今回は大戦の最も大切な行事の粗筋を下記のように、記す。 19世紀末に、欧州の国々は植民地の配分をめぐって、競争して、軍備を増加した。国民感情は紛争を高めた始末である。それから、2つの連合が締結された。英国とフランス、一方、ドイツとオーストリア帝国。1914年の6月に、フランツ・フェルディナントが暗殺されたため、オーストリア帝国はセルビアへの侵攻を始めた。数週間の後、イタリア、ポルトガル、ルーマニア、日本、英国、ブルガリア、トルコとドイツは戦争に出てしまった。 1914年にはドイツの軍隊はベルギーとフランスに侵攻したが、パリの前で陥った。前線は4年間安定していた。その間、トレンチを掘っていたし、勝敗もあるし、機関銃と有毒ガスの使用のため、死亡率はすごく高かったという。 オーストリアはイタリアの攻撃に抵抗している間に、ドイツはロシアにも侵攻して、ロシア帝国を麻痺させた2つの大事な勝利を得た。1915年からは、戦争は植民地に広まった。英国艦隊は領土を守って、いくつかの戦闘で強いドイツ艦隊を敗北させた。でも、トルコでは血だらけの戦場となり、上陸に敗北した。 1917年にはドイツも新しい潜水艦を操って、戦外中立の商船を攻撃することにした。その攻撃を皮切りにして、米国はフランスの前線に軍隊を送るということになっている。 1918年の初めにはドイツはロシアと条約を結んだ。また、3月にはフランスを攻撃したが、パリでやっつけられて、連合国はドイツの領土を攻撃し始めたのである。 1918の11月には、ドイツで革命が起き、新しい共和国を建国して、オーストリアからの懇願によっても、平和への交渉を始めた。休戦はその当時に結ばれたのである。 1919年の初めに、ヴェルサイユでは平和への条約を提示した会議が行われた。第一次世界大戦では一千万人以上の人が死んで、七百万人ほどの負傷者が出たという。それに、数百万人は母国から離れさせられたり、国籍を失ったりしたのである。大戦が及ぼした破壊は甚大で、怒りは戦争が勃発する前よりずっと深くなったというものである。