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就職活動中

パソコンの前で、就職状況を反省してる。現在、就職活動をしてる。編集者向けの仕事を探してるけど、実は日本語の翻訳者として、働きたいと思っている。 経験といえば、まず、大学を卒業する前に研修に入ってアイケという出版社に勤めた。そこでは、編集助手として、いろいろなことをやった。今年の年始、仮契約の期限が切れたから、やめた。そして 、リモネロという出版社にも入って、修正者として一ヶ月ぐらい働いた。それから、就職活動をし始めた…まだ、見つけられないけれども、 Jrock Radio というサイトで翻訳者を 無料で 務めてる。日本語を使う 理想的な 仕事なのに、給料は もらわない。お金をもらわないからといって、職歴を積んでるので、無駄な時間になるものじゃない。いつか、正社員になったら、素晴らしい仕事になるだろう。

へぇ、それってなーに?

生い立ちの窮地の一つは職業の選択なので、どっち選ぶか迷ってる人が大勢いるということだ。何を勉強するか決める時には、家族や社会や経済の要因を分析しなければならないという程度の話題があるので、若い者からみると新たで、難しい世に入るわけだと思ってるだろう。若者が家族と社会に選ぶ道を働き駆けられるし、それに、経済的な事情にも拘る。つまり、自分が気に入り、家族も賛成し、お金を稼ぐ職業を選ばないといけないというのが僕の意見なのだ。本当に複雑な事だ。もしかしたら、木を見て、森を見ない人かもしれないね。 僕は七歳の頃、学校を出てから、古生物学者になることに夢中だった。恐竜に関する本や雑誌を読んでばかりいたし、過半数の恐竜の種類の名称まで暗記したことがあることを思い出す。今ほとんど忘れてしまったけど。その時、ブエノスアイレス大学にはその専攻はなかったし,旅行もあまり好きではなかったので、ちょっと希望を失くして、別の課程を考え返した。エジプトの歴史にも嵌っていたから、考古学のことも考えていたが、経済的に良い将来がない恐れがあって、辞めてしまったわけだ。とにかく、まだ学生だったから、あまり心配もなかった。 高校の最後の年、僕の将来について決める時がやってきた。何を勉強するのか。コンピューターのことも大好きだから、父は情報理学を勧めた。あまり確信していないけど、どんな勉強を選ぶか心当たりが全くないので、家族の希望に従った。ラマタンザ大学で 一年間 在学して、この課程は気に入らないことに気づいて、大学を辞めたかったけど、辞めたら、何しようかと考えて、ほかの勉強なのか、でも、どっちかな、働くのか、どこかな、大変迷ってたのだ。ただし、在学しながら、他の課程を調べた。インターネットによって、編集という大学課程を見付けて、どんな専門なのかを納得してしまったのだ。主な理由の一つは本が大好きだからだ。その後、両親に相談して、母はすぐにポートしてくれたけど、父は説得しても、あまり。。。やっと、いずれ分かってくれる。翌年こそ編集の勉強を始めることにした。 とにかく、好きじゃなかった課程を一年間勉強したのは後悔しているわけではない。情報理学についてほとんど何も習わなかったけれども、友情のことは納得したわけだ。良い友達を作ったばかりか、友人のグループを初めて愛することも習ったという体験というものはあ

サルミエント電車の事故の自分の考え

ブエノスアイレスで起こった近郊電車事故は51人の死亡者が出たそうだ。新聞によると、この事故の原因はブレーキ故障によって、電車の編成が衝突した。でもね、ブレーキ故障は何故なのだろうか。私にとって、ブレーキだけじゃなくて、ものの継続であるものだ。アルゼンチンの鉄道はイギリスによって改造された。サービスがよかったと言われていた。それから、その鉄道はペロン大統領の政府に国営化された後、破壊が始まったと思う。 サービスを使う乗客が電車を守らないし。つまり、電車の壁を塗ったり、席等を壊したりしてる始末だ。その理由は利用者はマナーが悪いし、他人の物も、公共乗り物も尊重しないことのはずだ。 一方、TBA社は編成も維持したり、改善したりしない。その上、現在の電車はとても古くて、新しいのも買わないつもりだ。そのため、アルゼンチンの電車のサービスは悪いわけだ。その事故は汚職の結果であるものだ。アルゼンチン共和国は利益の考え方で、常に世界の後進国になるだろう。

一目惚れ

九月の静かな朝、いつもの通りに目を覚ました。春の初めだった。その日は大学でスペイン語文法の試験があった。だから、早く起きたけど、ちょっと緊張していたことを思い出す。 リュックを取って、バス停に向かった。バスを待っていたら、僕の後ろに、天使みたいな金髪で青い目の女性があらわれた。僕がちょっと右を向いて、「へえ、美少女だ、話しかけてほしいものだなぁぁぁ」と思ったとたん、「ねえ、86番のバスを待ってるの?」「いや、僕、56番のバスに乗るんだ」と言った。 「ラパテルナルに行くの?」と聞いてくれて、「いや、大学に行くよ」と答えた。すぐに、彼女は話を続けて、「じゃあ、何を勉強するの?」「編集。」「君は何?」と僕が言った。 たばこを吸いながら、「あたし、来年は法律の勉強を始めるかも」と答えたのだ。その後、沈黙があった。でも、彼女もまた、「涼しい日だよね」と言って、僕は「うん」とあいづちして答えたが、実は彼女の名前を知りたがったのだ。でも、名前が聞けなくなってしまった。恥ずかしいものだ。適当な状況じゃないと思ったわけだ。 バスが着いた時、「バイバイ、がんば、がんば」と別れて、バスに乗った。恋してしまった。僕の目から愛して止まない遠ざかる素晴らしい姿を眺めて、大学に行った。あの日から、毎晩綺麗な彼女ともう一度すれ違う日を夢見てる。

西村栄治作家の詩

この投稿を書こうと思ってる時、西村栄治作家の詩を二つ発見した。 「 思いきって やってしまえば あんがい、 思ってたほど たいしたことじゃ ないんだよね。」 「 成功も 失敗も 長い人生の中では、 ほんの通過点にすぎないんだよ。」 反省させられる言葉なんだけどね、僕の人生というものは子供の頃から予測したわりに、こうなってない。思うだに、失望なのに・・・。生きたことを後悔しても、振り返れないものだろう。成功させる上で、適切な道はどっちかな。また生まれ変わるものなら、僕は違う人間になるかもしれいないが、反省すればするほど、もっとだめ人間を感じさせてくれるし、だが、死のことを思うと安心するとも言える。今を生きたがるけど、分からないものがあって、自由に生活のことを遊ばせない。孤独は親友のはずだから。これを書いて、頭がすっきりとした気がするし。

失恋の気持

夕方の薄暗い空の下、 岩の上、 水平線の眺め。 美少女に恋焦がれてる若者が 孤独の翼に包まれてる感じ。 悲嘆に映った流れる涙が 秋の木枯しに枯れ果てた。 燕が雲海を飛ぶ間 失望の海に 命を沈め。

懐かしさ

君って、天使のように美しい。。。 三年が経ったことに気づいたけど 初めて会って以来、胸がまだ、どきどきし続ける。 君のためのこの暖かい恋は決して消えない。 毎日毎晩、君を思ってばかりいるよ。 永遠に、愛するって言った。 永遠に、愛しようと約束した。 永遠に、愛しようとした。 永遠に、誰よりも愛してる。。。 全ての君の事を決して忘れはしない。 君さえよければ、過去が迎えられるんだろう。。。 相手は孤独、君がいないなら。。。 何時の日か、何時の日か、 君をめぐり流した多くの涙を感じるかな。。。 僕を思い出さなくても、君のそばに居続けるよ。 見た時は僕の心が君の心に残っちゃった。 この縁は日に日に強くなって来て、 誰もが切れないから、 生きがいは君だけ。 僕の愛情。。。 両手を繋ごう。。。 清い唇をカンデ、抱きしめてくれ!

今年度教連作文コンクールが優秀賞

在亜日本語教育連合会は毎年作文コンクールを行ってる。たいてい、学生が先生を通じて申し込んで、あるテーマについて書かなければならないのだ。そのテーマは教連によって、決められる。そして、生徒は家で書いて、それから、先生に添削してもらう。文章がオーケーなら、後は暗記するだけだ。というのは、コンクールの当日、学生は学校で二時間半ほど原稿用紙に下書きを見ずに書かなくてはならないからだ。 僕は三回も参加したことがある。入賞したのは三回目だった。今回のテーマは五輪のことになった。うれしい事に賞として証明書とメダル、それから2020年のオリンピック東京開催を記念する袋とステッカーをもらった。しかし、漢字辞書が欲しかったな。友達の話によれば、前の年は事典をもらえたというのに。僕が書いた作文はこれだ。 優勝への熱意 四年間ごとに全ての国籍の選手は特別な場所に集まることになっている。その催しというのは五輪のことだ。選手がそれぞれの目標に達するべく、自分の国の代表者として、優れる技を見せて人生の最高の日に向けて頑張っている。もちろん出場する事も意義があって、大切だけれども、それ以上に表彰台の一番上に立ちたいものだ。もし金メダルを持ち帰ることができたなら、きっと母国はヒーローのように迎えるだろう。 ある選手が自分の障害を乗り越えた人として、有名になった。彼は両足のない体でありながら、スポーツ界に壁が存在しないことを証明した。最初に、オリンピックに参加しようとした時に差別されたが、後になって、とても薄くて軽い競技義肢と彼の努力によって出られたという。 国際競技連盟から出場を却下された彼は、スポーツ仲裁裁判所に訴えた。「生まれつきの障害ですから、オリンピックに出てはいけません。」と裁判官は言った。「なるほど、両足を持っていたらできたのは確かですが、義足で普通の人間のように走られることを僕なりに世界に向けて勝って見せたいのです。機会を一度頂くだけでいいですから、お願いします!」と彼は大声で叫んだ。「機会をあげたことに間違いはなかったと証明して下さいね。」と裁判官はやっと賛成した。選手は驚くと同時に喜んで、「この与えられたチャンスを必ずものにして、金メダルを取って見せます。」と言った。 五輪競技でのマラソンに出場の折に、両足の支障をものともせずに、夢を叶えることとなった。彼は一

初めまして!

七年前に日本語の勉強を始めた。現在、2級の生徒だ。このブログで日本語や自分の生活の体験を話すつもりなんだ。もし、いつか日本へ行く機会があったら、もちろんそのことを書くよ。まだ、行ったことがないけど。その日が待ち遠しいな。僕はまだあまり日本語ができないけれど、とにかく書くようにする。いつも間違いがあるから、誰かが見つけたら、直してほしい。目標も勉強することだね。 俺はタンゴの土地「アルゼンチン」で生まれたのに、日本文化、特に、日本語のことにハマってる。今年末、能力試験を受ける。もう、申し込んだ。そのため、毎日頑張ってる。 未だに、日本語の勉強を始めた理由を思い出す。父ちゃんが高校生の頃、日本人の友達がいて、彼らのことを話していた。「ありがとう、日本、合の子、けとう、たのもし」といった色々な表現を教えたりしてくれたから、日本語を好きになったのだ。もし、誰かにその言葉はスペイン語で何かと聞かれたら、翻訳できなかった。日本語の意味しか考えられなかったし。俺は15歳の時、インターネットで、日本の言語に関する情報を探して、独学したけど、日本人みたいに、話せるようになりたかったから、日本語学校に入るべきだと思った。だから、西部日本語学校を選んだのだ。そこに入って以来、僕にとって新しい世界が開いて、日本文化はもちろん、友情の色々な経験を積んでいる。どこに行っても、西部の知人に会ってしまう。時々、日本語の勉強を終えた時、あら、どうしようかなと、自分に聞く。西部が懐かしくなる時があるかもしれない。まあ、 その日は まだまだだなぁぁ。 これは短い紹介だったけど、今度はもっと面白いことを投稿するよ! よろしく!