生い立ちの窮地の一つは職業の選択なので、どっち選ぶか迷ってる人が大勢いるということだ。何を勉強するか決める時には、家族や社会や経済の要因を分析しなければならないという程度の話題があるので、若い者からみると新たで、難しい世に入るわけだと思ってるだろう。若者が家族と社会に選ぶ道を働き駆けられるし、それに、経済的な事情にも拘る。つまり、自分が気に入り、家族も賛成し、お金を稼ぐ職業を選ばないといけないというのが僕の意見なのだ。本当に複雑な事だ。もしかしたら、木を見て、森を見ない人かもしれないね。 僕は七歳の頃、学校を出てから、古生物学者になることに夢中だった。恐竜に関する本や雑誌を読んでばかりいたし、過半数の恐竜の種類の名称まで暗記したことがあることを思い出す。今ほとんど忘れてしまったけど。その時、ブエノスアイレス大学にはその専攻はなかったし,旅行もあまり好きではなかったので、ちょっと希望を失くして、別の課程を考え返した。エジプトの歴史にも嵌っていたから、考古学のことも考えていたが、経済的に良い将来がない恐れがあって、辞めてしまったわけだ。とにかく、まだ学生だったから、あまり心配もなかった。 高校の最後の年、僕の将来について決める時がやってきた。何を勉強するのか。コンピューターのことも大好きだから、父は情報理学を勧めた。あまり確信していないけど、どんな勉強を選ぶか心当たりが全くないので、家族の希望に従った。ラマタンザ大学で 一年間 在学して、この課程は気に入らないことに気づいて、大学を辞めたかったけど、辞めたら、何しようかと考えて、ほかの勉強なのか、でも、どっちかな、働くのか、どこかな、大変迷ってたのだ。ただし、在学しながら、他の課程を調べた。インターネットによって、編集という大学課程を見付けて、どんな専門なのかを納得してしまったのだ。主な理由の一つは本が大好きだからだ。その後、両親に相談して、母はすぐにポートしてくれたけど、父は説得しても、あまり。。。やっと、いずれ分かってくれる。翌年こそ編集の勉強を始めることにした。 とにかく、好きじゃなかった課程を一年間勉強したのは後悔しているわけではない。情報理学についてほとんど何も習わなかったけれども、友情のことは納得したわけだ。良い友達を作ったばかりか、友人のグループを初めて愛することも習ったという体験というものはあ