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日本語能力試験合格結果通知

能力試験N2を受けることを目標に、毎日語彙とか、文法表現とかを覚えたり、記事を読んだり、することにした。朝御飯を食べてから、していた。まず、「能力試験2級に出る」という本を一年間使って、言葉と漢字をほとんど学ぶ事にした。毎日一つの新たな課をマスターできるようにして、前の課も練習した。それで、すごく大変だった。その後、「中級へ行こう」とか、「みんなの日本語III」といった教科書もいろいろ使った。翌年、すなわち去年の夏に文法表現を中心として、出版社に勤めのかたわら、「どんな時どう使う 日本語表現文型500」というテキストを買って、一ヶ月にすべて覚えられるようになった。

俺から見ると、語彙の勉強ほどあまりややこしくなかったな。それから、学校の授業ではもちろん先生と会話と聞き取りを猛練習したり、以前学んだことも使い分けるために応用したりしてしまった。

一日たりとも日本語に触れなかった日はなかったのだ。しかし、試験の後、月日が経つにつれて、間違えたところと正解したところという思いが交錯して、不安な気持ちが湧いてきた。やっと、待ちに待った結果通知が届いた。

一生懸命勉強したからといって、不合格だろうと思いきや、受かってしまった。この成績は努力の結実というものだ。今後もN1に向けて頑張ろうと思う。

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